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あいつ、どうしてんだろ
昨年の10月に発注した家具のパーツが今月末に入荷してくるので倉庫の整理をした。
1回の入荷量は約5トン。
それが年に3回で15トン。
それだけ売れてるのに儲からないのはなぜだー!
…それは置いといて…倉庫の奥から懐かしいものが出てきた。
バリのウブドから世界遺産のライステラスがあるテガラランへ向かう通りに、手工芸品の卸し地帯がある。
注文を受けてから作る店が多いので短期滞在の観光客はおらず、ウロウロしているのは日本や欧米からのバイヤーばかりだ。
17~8年くらい前だろうか、そのころチモール島の家具や木工品を扱う店が増えていた。
独特の濃~いデザインと彫刻は印象的でワタシもよく仕入れたものだった。
当時チモール島は西と東に分かれていて東チモールはインドネシアからの独立運動に燃えていた。
東チモール独立戦線とインドネシア国軍や民兵との衝突は激しく内戦状態で、チモール島外に希望を求める人たちが島を出て、その一部の人がバリで木工品の店を開いたのだった。
何軒かのチモール・ショップと取引があったが、その一つを経営していたのが「ジョセフ・ラウ」というチモール出身の、人種は中国人で国籍はインドネシア人だった。
〝ラウ〟というと香港映画の往年のスター〝アンディ・ラウ〟を連想するが、ジョセフは肥満で目が細く〝糸目のサムハンキンポー〟みたいな見てくれだった。
何回か取引した後、彼がカーゴ屋はどこを使っていて日本までの運賃はいくらだ?と訊いてきた。
チモール木工品だけではなくカーゴ屋の代理店も始めたようだ。
そのころ使っていたカーゴ屋に少し不満があったのでジョセフのカーゴを使ってみた。
金額はさほど変わらなかったけど、大きな荷物の隙間に小物をキッチリと詰めていつものカーゴ屋よりも2割増しくらいの荷物が入ってきた。
それから何回かジョセフを通じて日本に荷物を送ったが、そのうち彼は女房に逃げられた。
その女房にカーゴ代理店に必要な書類を全部持っていかれたので、もうカーゴはできないと言われた。
ジョセフを通さないで直接カーゴ屋と取引をするようになったのでワタシのほうは何の問題もなかったが、小学生の息子を残され女房に逃げられたジョセフはハゲシク落ち込んだ。
そのころいつもカミさんと二人で仕入れに行っていたワタシも、出産したばかりのカミさんを日本において一人で出張に行く時期だった。
ドライバーのカデ君が気を遣って、ひとりで仕入れに来て寂しいであろうトシ(ワタシ)と、女房に逃げられて落ち込んでいるジョセフと、自分(カデ)とでサンセットビーチで食事をしようと段取りしてくれた(金払ったのはワタシですけど)。
チモールから出てきて木工品の店を始め、カーゴビジネスにも手を広げ順風満帆だったジョセフも女房に逃げられたころから潮目が変わった。
木工品店を閉めアクセサリーやビーズ、トンボ玉を扱う店に商売替えした。
ジョセフからはビーズやトンボ玉を買うようになったがそのうちまた商売を替え、今度はアンティークショップだった。
彼は正直にコレは本物、コレは偽物と教えてくれた。
どのタイミングかよく覚えていないが彼に日本円にして約5万円を貸したことがあった。
会うたびに商売が小さくなっていく彼に貸す金はもう戻ってこないものと思って貸した。
そんなこともすっかり忘れてしまった頃、カデ君から連絡があった。
トシは今度いつバリに来る?ジョセフがバリの商売やめてチモールへ帰るって。トシに借りがあるからそれを返してからチモールへ帰るって。
あいつ、見てくれが悪いからズルそうに見えるけどまじめなやつなんだよね。
バリでジョセフに会うと彼が用意していた現金は貸した金額には足りなかった。
「あとは店の商品をもっていってくれ」
戻ってこないと思っていた金が戻ってきたんだからこれでOKだよと言ったけど、じゃあこれを持っていけと言われたのが写真の彫刻。
「チモールでは彫刻をする行為によって祖先と通信ができる。その彫刻がたくさんバリに持ち込まれて売られているけれどそれらは売るために作られたもので本物じゃない。これはオレの祖先が作った本物だ。」
いいっていいって、祖先様が作ったものなんだから大事にしろって、と言ったけど日本に着いたコンテナを開けたらこれが入っていた。
あれからジョセフには会っていない。