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通知表お供え問題



先日、友人がこんな記事をシェアしていた。


神奈川県の公立小学校が2020年度から通知表を廃止した、というものだ。

2018年に着任した校長が、通知表の是非を教諭たちに問いかけた。

「良い評価が多かったら喜び、そうでなければ悲しむだけ。それでは意味がないのではないか」

「通知表は子どもたちのモチベーションになっている」「通知表がないと保護者は寂しい」などの理由から通知表必要論者の教諭もいたが、通知表を渡すことに違和感を抱いていた教諭もいた。

「まるで偉い人のお告げみたいに、子どもをランク付けしてしまう。有害なんです。ずっといやだと思っていた」

校長着任から2年間、教諭・保護者は意見を交わし、子どもたちの評価の手段として通知表は望ましいのだろうかという問題意識から、最終的に通知表を廃止した。




私も子どもの頃、通知表をもらっていた。

5段階評価で、ほぼ「3」が並ぶ中、ときどき「4」と「2」があるような通知表だった。

私は妹と二人兄妹で、近所には同じ小学校に通ういとこの兄妹がいた。

私が一番年長で、次がいとこのヒデキ、その下が私の妹のミカ、一番下がいとこのミホだった。

私以外の3人はオソロしく成績が良かった。

彼らの通知表の数字はほとんどが「5」で、ときどき「4」がでてくる、というようなやつだった。

妹のミカはひとつだけ「4」で、あとは全部「5」なんてことがあった。音楽も美術も体育も含めて。



大学生の頃、バイトしていたイタ飯屋さんで、私の名前がツバキヤマだと知ると、初対面の女子学生が

「え~!ツバキヤマさんて、ウエタケ中学の?」

と訊いてきたので、そうだと答えると

「運動ができて」

(ま、それほどでもないけど)

「勉強ができて」

(ん?)

「習字の上手かった」

(ヒデキだな…)

ということがあった。



妹の通知表の中身は兄妹だからわかるとして、なぜいとこたちの成績まで知っていたのか。

我が家には亡くなった祖父の写真が仏壇に飾られていた。

学期が終わり通知表をもらってくると4人の通知表を仏壇に供える、というたぶん我が家だけなのだろうが、そんな慣習があった。

だから私は妹のだけではなく、いとこたちの成績も知っていた。

私の通知表と、ほかの3人のそれには彼我の差があった。

祖母は「とし坊はやればできるんだよね」となぐさめてくれた。

私は負けず嫌いではないので(それがいかんのだが)それほど落ち込まなかったが、それでも通知表お供え問題は子どもの頃の少し苦い記憶だった。





妹が結婚し、旦那さんとなる人がアメリカ人だったので結婚式自体はハワイで行ったが、日本の友人知人を集めたパーティーを日本で開いた。

その時の私があいさつの中で子ども時代の通知表お供え問題の話をした。

いとこのヒデキとミホもいた。

私の挨拶のそのあとで、意外なことが分かった。

ミカもヒデキもミホも、3人とも通知表お供え問題を憶えていないのだ。

そんなことあったっけ?という反応なのだ。

キズついたとし坊だけが憶えていた。





『勉強が得意な子もいれば苦手な子もいる。「できる」ことだけを評価するのでは、光が当たらない子どもも多い。先述のベテラン教諭はいろいろな観点から子どもをほめるよう心がけてきた。「優しく言えたね」「面白いね」。普段からのそんな声掛けが、たった半年に1回の通知表で台無しにされているように感じた』



私が子どもの頃に通知表が廃止されていたらなあ。今日も快晴です。


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