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ブラジルへ行きたかった。



 

高校・大学の空手部の後輩で、今は大学の空手部の監督をしているイケダから電話があった。

 

高校の空手部は武徳会という道場から指導を受けていた。

当時、空手部の部長先生は早稲田の合気道部だった英語のニシムラ先生だった。大学を出てから何年という若い先生だった。

合気道と空手は同じようなもんでしょ、という乱暴な理屈で、なり手のいなかった空手部の部長にされてしまったようだった。

ニシムラ先生はご自分が空手に不案内で指導することができないので、駅ふたつ離れたところにある武徳会の本部道場に指導を頼んだ。

武徳会には指導員が何人かいたが、師範の土佐邦彦先生自らが指導に来てくれた。

土佐先生は週に一度、高校の体育館に来て教えてくれる。

その日は空手部全員が緊張していた。

なにしろ、おっそろしくコワイ師範だったのだ。

型の順番を間違えた根津のいなり寿司屋の息子、モリが土佐師範に「 バカー! 」と突き飛ばされ、ゴロゴロ転がって体育館の壁にぶつかって止まった。

ひたいに剃りを入れたオールバックで、斜めの銀縁メガネをかけた不良丸出しのヤギシタは次は自分の番だと思いつばを飲み込んだ。

我々は先輩に蹴ったり殴られたりしていたので土佐師範の暴力が怖かったわけではない。

むしろ土佐師範は両手でケガをしない程度に突き飛ばしてくれたのだ。

我々が怖かったのは師範の気迫だった。

肉体的ダメージより精神的に恐ろしかった。

師範はこう言った。

「私は油断をしない。曲がり角を曲がるときは出会い頭に殴られないように大回りをする。電車に乗る時は突き落とされないように線路側を背にして立つ。」

ホンマかいなと思ったが、十条の呉服屋の息子、ハットリは東武東上線の駅で線路を背にして本を読んでいる土佐師範を見たそうだ。

土佐先生は夏合宿にも来てくれて、稽古の合間にはムツカシイ本を読まれていた。

本の題名は忘れたが自由主義や社会主義についての本だったような気がする。

その本の内容について簡単に解説してくれたあと

 「 なぜだと思う、ツバキヤマ。」

と、バカな高校生に問うてはならないことを問い、ワタシは何か答えなければならないと思ったが何も答えることができず黙っていると、土佐師範は楽しそうに笑った。

 

武徳会にはいくつも支部があり、そのうちのひとつはブラジルにあった。

ワタシは中学生のころからブラジルという国に憧れていた。

高校3年のワタシはブラジルがどんなところかも知らないのに、ただ漠然とブラジルへ行ってみたかった。

道場での稽古の後、指導員のフルヤさんに、自分 指導員になってブラジルへ行きたい気持ちがあります、というようなことを言った。

フルヤさんは土佐師範に話をしてくれた。

土佐師範は後日ワタシを呼んで

「指導員になるには4年、住み込みで稽古しろ。それからご両親にはこの話をしたのか?まず、お父さん、お母さんとよく話をしろ。」

と言った。

ワタシの高校は付属の高校だったので受験をせずとももう大学進学が決まっていた。

自分から切り出した話なのに、なかなか踏ん切りがつかなかった。

当時、柔道のように体重別のクラス分けがなかった空手の世界でワタシのような小兵が通用するのか。

指導員のスギタさんは90kgだった。

それに、自分が指導する器でないことは高校生ながらうすうす気が付いていた。

決断を先延ばしにし、ズルズルと時が経ち、大学に入った。

大学でも空手部に入ったが高校の空手部と流派が違うので土佐師範の指導を受けることもなくなった。

夜、バイトを始めたので武徳会の道場へも行かなくなった。

それでも自分のいるべき場所はここではなく、ブラジルの支部道場なのだという気持ちが片隅にあった。

ひとり暮らしを始め、空手部の練習に汗を流し、先輩や同期や後輩と酒を飲み、バイトをして、今まで知らなかった世界を少しづつ覗き、そんな生活を送っているうちにブラジルのことは忘れていった。

 

大学3年の大晦日、同じく武徳会の門下生で東洋大の空手部にいたミヤモト先輩が私のバイト先のスナックに顔を出された。

ミヤモト先輩はワタシとのある約束で、ワタシにジャージを作ってくれた。

「お前にジャージを作ってやるって約束したの、覚えてるか」

「オス」

本当は忘れてて、ああそんなこともあったな、と思い出した。

ミヤモト先輩にいただいたジャージの左肩にはワタシの名前が刺繍されていた。

土佐先生の話になった。

「土佐先生はお前とケンゴのことを自慢に思っていた」

と言われた。

ケンゴはワタシより一つ下の門下生で、そのころは帝京大学の空手部にいたタケダケンゴで、帝京の空手部の監督になった。

ケンゴはわかるにしても師範がワタシを自慢に思われていたのは意外だった。

 

 

イケダからの電話は次のようなものだった。

土佐師範が今年82歳になり、宗家をご長男に譲った。

ついては8月に高校の空手部として師範に感謝の会を催したい。

遠いところだが椿山にぜひ出席してもらいたいとニシムラ先生がおっしゃってる。

そして、OB代表として挨拶をしてほしいので椿山の都合を聞いてくれ、ということだった。

 

若い教師だったニシムラ先生も、その高校の校長先生になり、定年を迎え、今は系列の幼稚園の理事をされているらしい。

 

土佐師範には指導員になる相談をして以来お会いしていない。

きっと不実な弟子だとお思いだろう。

先生に、37年ぶりにお会いできるのが嬉しく楽しみである一方、あの鋭い目で今のどこかだらしのない自分を見抜かれるのが怖い。


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