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インドネシア独立記念日



韓国の大統領が竹島に上陸したのが8月10日。

香港の活動家が尖閣に上陸したのが8月15日。

太平洋戦争で日本が無条件降伏をし終戦した日、8月15日は開放記念日として東アジア諸国にとって特別な意味を持つ。

 

先日、8月17日、インドネシアに住むフェイスブック友達ふたりがこんな投稿をしていた。

 
『インドネシアの独立記念日に村の青年会主催で行われる村民運動会・・』

『本日はインドネシア独立記念日。パンクバンドが国を讃えるナンバー作るって、すごいでしょ?』

内容は違うが、どちらも独立記念日に関する話題。

インドネシアも中国や韓国と同じように日本の降伏した日が独立記念日になったのか?と思ったら、少し意味が違うようだ。

日本の無条件降伏による終戦が8月15日。

インドネシアの独立記念日が17日。

この2日の意味するものは・・

以下は、ある本からの抜粋です。

 

去る8月17日はインドネシアの独立記念日だった。日本にとっても忘れえぬ日である。
日本列島から遠く離れた東南アジアの国の独立が日本とどういう関係があるかというのは、この日が日本の「敗戦記念日」から2日後であることを考えてみて欲しい。
かつて日本は、この地を植民地支配していたオランダ・イギリス軍を撃滅し、インドネシアに軍政を敷いた。それは蘭英のような民衆の搾取や虐殺を当たり前にする植民地支配ではなく、やがてインドネシアを独立させることを前提とした統治だった。

しかし、8月15日、日本は無条件武装解除に応じ、日本の敗戦によって大東亜戦争は終戦を迎えた。
そこで日本が育成していた、インドネシア青年会(インドネシア独立義勇軍の前身)の中心的人物、スカルノとハッタは、インドネシア駐留軍の責任者だった前田中将の家に行き、そこで独立宣言文を起草した。その宣言文の日付は170815(05年8月17日)、西暦ではなく皇紀で書かれているのだ。

その直後、日本の敗戦を待って、再度インドネシアを植民地にするべく英蘭軍が再侵攻してきたとき、3000人以上の元日本軍人が、独立戦争に身を投じた。愛弟子であるインドネシア独立義勇軍を指導し、常に戦陣を切って戦ったのは、彼ら元日本兵だった。

多くの日本兵はそのまま戦場に倒れたが、インドネシアは見事独立を達成した。
勇敢に戦った日本人兵士たちは、今はインドネシア各地にある英雄墓地に埋葬されている。ここは、日本の靖国神社やアメリカのアーリントン墓地がそうであるように、国家のために忠誠を尽くした兵士の魂が、名誉とともに手厚く葬られている場所である。

 

何年くらい前だったろうか、ジャワ島のソロにあるバティック(更紗)市場で会ったお年寄り。

ワタシが日本人とわかると笑みを浮かべ敬礼し

「キュージョーヨーハイ!」

と言った。

いや、後になって「キュージョーヨーハイ」と言う言葉だとわかったが、その時はなんと言ってるのかわからなかった。

その後帰国し、たぶん1~2年が過ぎた。

バティック市場のご老人のこともすっかり忘れた頃に、「宮城遥拝」の言葉を新聞で見つけ、その意味を知った。

あのときのご老人が口にした言葉が、その文字とつながった。

「キュージョーヨーハイ」は「宮城遥拝」なのだった。

皇居の方に向かって敬礼をしていたのだった。

 

太平洋戦争当時、日本が軍政を敷いた国はいくつもあった。

国によって違う「日本」への想い。

この温度差は何なんだろう。

 

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