我が町の公共建物の開発は急速に進んでいる。

我が家から徒歩5分の場所にあった市の図書館は少し離れた場所に新しい建物を作り「まなびの杜 ののいちカレード」となった。

そして昨年は中央公民館が取り壊され、来月
「にぎわいの里 ののいちカミーノ」としてオープンする。

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その敷地内に民間商業施設「1の1 Nonoichi」ができた。

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カフェスペースに加えシェアキッチンがあり、曜日変わりで様々な飲食が提供される。

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たとえば4月はクレープ、スペアリブ丼、A4・A5ランク和牛の肉料理、オイシイデリのランチボックス、椿てまり寿し弁当、京都大学カレー部4代目部長のカレーなどなど。

これらが曜日変わりで出てくるのよ。楽しそう♬

 

 

そして同じ建物内に物販スペースもある。

野々市ならびに近隣の特産物、工芸品などを販売する。

 

 

うれしいことに この「1の1 Nonoichi」の家具什器をご注文いただいた。

 

カフェスペース

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物販スペース

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ご覧のようにカフェスペースのテーブルやカウンターはマホガニー材。

そして物販スペースはアイアンのフレームにパイン集成材。

同じ建物の中なのにテイストがバッサリ切り替わってしまうのが少しもったいない。

なのでパイン集成材の棚の中に収納するストック用の箱をテーブルと同じマホガニー材の契り付きで作った。

これで建物全体の統一感が出る。

 

でも箱だけではダメなんだな。

取っ手が無いと陳列棚から箱が引き出しにくい。

その取っ手をどうやろうか…

 

と考えていた時に浮かんだのが〝革の取っ手〟。

さっそく革工芸のグリグリレザースの佐藤さんに依頼。そして快諾いただいた。

この箱 結構重たいので繰り返し使っても革の取っ手が外れないように止めなければならない。

佐藤さんと相談の結果、前板に3mmのタテ穴を掘って、そこにベルト状の革を通し、内側で縫って留めることにした。

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なるほどこれなら外れない。

しかし納期が迫る中、24個の箱にタテ穴を開けるのは1日仕事になるので天を仰ぐ気分だったが、よいものが出来るなら…

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練習したんです(^^)

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タテ穴を開け、塗装を仕上げ佐藤さんの工房へ。

最後の仕上げをお願いします m(__)m

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こんな風に仕上がりました。

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取っ手の革はいろんな色を使って。

陳列棚の裏側に収納。

 

 

今回はいろんなものを作らせてもらいましたが、一番印象に残ったのがこの〝箱〟。というか〝革の取っ手〟

 

 

革の取っ手、家具にも使えそうです。

段ボール箱いっぱいのサトウキビ

学生の頃、学校の裏にあるスナックでバイトをしていた。

そこから直線で100メートルくらいのところに極真会館の本部があった。

本部道場には内弟子と呼ばれる住み込みの練習生がいた。

彼らは将来の指導員になるため毎日激しい稽古をしていた。

全員、寮に住んでいて門限があった。

だが時々、門限フリーの日があった。

 

 

 

彼らには『宿直』という当番があった。

本部道場の5階(だったかな?)には当時大山増達館長が住んでいて、年に1~2回大山館長と立ち会いたいという頭のねじが切れた道場破りが来たらしい。

それの相手をするために内弟子が二人一組で1階の受付に泊まり込むのが『宿直』。

ほとんどの日は道場破りなど来ないので、二人一組のうちの先輩格は後輩に宿直をまかせ街に遊びに行く。

と言っても彼らの給料は月2万9千円で、2万を寮費で引かれるので残るのは9千円。

たいしたところへは行けない。

ワタシのバイトしていたスナックに彼らは千円札1枚を握りしめて来た。

小泉元総理は小池都知事を〝女は度胸〟と言ったがワタシの知る限りここのママほどの豪傑はいない。

ママは極真の〝妖刀村正〟と言われた大石代悟さんを〝代悟ちゃん〟と呼び、天才少年と言われた東谷巧さんを〝タクミ!〟と呼んでいた。

 

 

 

内弟子の中にタケちゃんがいた。

宿直の日に池袋の繁華街で〝実戦〟をして、相手をボコボコにしたらヤクザだった。

タケちゃんは極真会館を破門になりヤクザにも終われ、大阪へ逃げた。

逃げているうちに自分もどこかの組の盃をもらいヤクザになっちゃった。

ワタシがそのスナックでバイトしていたころには背中に毘沙門天が入った立派な(?)ヤクザになっていて、ママが

「タケハラも内弟子だったんだよ」

と教えてくれた。

内弟子時代に組手で折られた前歯をそのままにしていたタケちゃんはママに

「タケハラ、墨入れる前に歯入れろ」

と言われていた。

 

 

 

大学の空手の全日本大会は東京と大阪で交互に行われ、ワタシが4年の時は大阪で開催された。

大会が終わって私はひとり大阪に残り、タケちゃんの組の事務所に泊まりに行った。

組員がたぶん10人もいない小さな組だったが、タケちゃんは若頭と呼ばれていた。

泊めてもらった夜、暴走族上がりの若い組員と、ジュンちゃんと呼ばれる40歳くらいのスキンヘッドと、タケちゃんとワタシの4人で地元の大学生が開いた〝パーティー〟に行った。

立食形式で、一つのテーブルは12~3人が使えるんだけどワタシたちのテーブルには誰も来なかった。

どこかのテーブルでひどく酔っ払った男がいて大きな声を出していたが、暴走族上がりがその男に

「兄さん、酒は楽しゅう飲まなあかんで」

と言ったらおとなしくなった。

そんなことをする代わりにタダで酒を飲めたのか、逆に金をもらっていたのかもしれない。

翌日、目が覚めるとジュンちゃんが廊下を雑巾がけしていた。

自分もやります、と言ったらお客さんにそんなことをさせられないのでゆっくりしてください、みたいなことを言われた。

 

 

 

ワタシが社会に出てからもタケちゃんとの付き合いは続いた。

ヤクザだけど喧嘩太郎なだけで本当に悪いことはできない。

人をだましたり弱い人間を食ったりということができない。

だから肩で風切って歩いていても財布はいつもピーピーだった。

最後に会ったのはたぶん私が30になる少し前の頃だと思う。

もう30年も会っていないが時々電話は来る。

いつだったか大阪の組をやめて生まれ故郷の奄美大島に帰ったと言っていた。

奄美で何やってるんですか、と訊いたらいろいろ説明してくれたがよくわからなかった。

 

 

 

先日2~3年ぶりにタケちゃんから電話があった。

「ツバキヤマ~、サトウキビいる?」

大阪ヤクザの頃はバリバリの関西弁だったけど奄美に帰ってから沖縄っぽいしゃべり方になっていた。

「??さとうきび…ですか?」

「ああ、うちの前にな、いーっぱい生えてんのよ」

「どーやって食べるの?」

「皮むいてチューチューすうのよ」

「はあ」

「おまえの住所おしえて。もうすぐパパイヤも生るけん、そしたらパパイヤも送るけん。」

おととい、段ボールいっぱいのサトウキビが送られてきた。

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こんなに食えないって。